罪刑法定主義と刑事事件の関係を考える

 さて突然ですが、皆さんはある王国の国民だとします。その王国では、王様が絶対的に権力を持っていて、「気に食わない奴は死刑だ!」とか、「嫌いな食べ物を作った人は懲役刑だ!」とかいわれていたら、どうでしょう。そんな無茶苦茶な設定は想定できない、というようなご指摘は置いておき、こんな勝手気ままに権力者や国にとって都合の悪いものを排除するようなことをしていては、国民がまともな生活を送ることはできないでしょう。弁護士などの法律家も用をなさなくなります。

 一方、日本においては、ある行為について犯罪すなわち刑事事件の成立を肯定するには、人の生命や身体を侵害する行為の典型例を集めたものともいえる「刑法典」に事前に定められている必要があります。仮想例のように、誰かが法律の根拠なく適当に言い出したことで罰されることはありません。このような法律で定められたことについてのみ刑罰をうけることが許されるという考え方を「罪刑法定主義」といいます。この罪刑法定主義は刑法上の要請というだけでなく、本来は憲法上の要請であり(憲法31条参照)、非常に重要な概念です。そしてこの罪刑法定主義を実質的に支える原理として、「法律主義」と「自由主義」があります。法律主義とは、何が犯罪であるかは必ず全国民の代表である国会によって作られた法律により定められなければならないという考えで、このことは民主主義の原理からも当然のことといえます。また、いくら法律があったとしても、例えばなんらかの行為をした後に法律を作って、あの時の行為は新しく作った法律違反であるから刑罰を科すなどといわれてはどうでしょう。皆さんは何が犯罪で何が犯罪じゃないのかが全く予想がつかなくなってしまい、おちおち外にも出られなくなってしまうかもしれません。これを防止する原理が自由主義とよばれる考えです。罪刑法定主義は、この法律主義と自由主義を基礎に成り立つ概念であるといえます。

(参考)元検事の刑事事件弁護士のサイト

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